ヒマラヤ登山日記4
2017年4月3日
ヒマラヤ日記、その3からの続き。
2017.03.16
Facebook やインスタにも投稿しましたが、究極の選択の末、深夜に出発した結果をお知らせします。
目指していたアイランドピーク(6189m)の頂上から200m手前の標高約5900mで「これ以上進まない」という決断をしました。天候の崩れに合わせて無理な行程を決行してしまったことで、高所における体力の限界と時間切れを迎えてしまいました。応援してくださった皆さま、登頂できず、ごめんなさい。
「ピークまで無理をすれば行けるだろう。しかし午後には強風が強まること、行きは良くても帰りには疲労で滑落、またはクレバスに真っ逆さま、命の保証はない」
口を大きく開けた青いクレバスの目の前で、ガイドのサンタマンからこう告げられました。できれば言いたくなかった「これ以上は進まない」という言葉。口にしたとき、知らず知らずのうちに大粒の涙が溢れてきました。悔しくて、悔しくて……。
偉大過ぎるヒマラヤ山脈の氷河に、サンタマンとぽつんと二人きり。大自然の懐では、人はいかに無力な存在であることか。山には「人の都合」で登るのではなく、山に人が許されてこそ登れるのだという事実を、まざまざと見せつけられました。一歩進むたび、ゼーゼーと立ち止まるレベルで苦しく息が詰まり、指もちぎれるかと思うほど寒い、高所5900m。酸素も平地の約半分、気を失うほど疲れて仕方なかったのですが、むせび泣く私を慰めるように、サンタマンがそっと差しだしてくれたチョコパイ(カチンコチンに凍ってたけど)が美味しすぎて、私の涙腺は完全に決壊してしまいました。
今回の初ヒマラヤ。長く、不便だらけのキャラバン生活。道中では、高山病にかかったり(これ、本当に苦しい!)、天候の崩れで登頂日を無理に前倒しにしたりと(本当は、ベースキャンプ手前で高所順応日を取得したり登頂行程を分割したかったが、天候に合わせて休む暇なく長時間サミットプッシュせざるを得なかった。天候回復を待機すると帰国できなくなる為)、命を削る思いもしました。しかし、肉眼で目の当たりにした巨大な氷河の数々、エベレストをはじめ、ド迫力な神々の山嶺(いただき)に抱かれながらの登山は、命の洗濯でもありました。感動を超えた美し過ぎる冒険でした。人生が大きくプラスに拓けたと思います。
私の命を預けたガイドのサンタマン、二人のポーター始め、日本から応援してくださった皆さまが居なければ、あそこまで登れませんでした。心から有難うございました!
帰国は今週です。課題も具体化してきたので、ここヒマラヤへ必ず戻り、次なるチャレンジに向けて、また歩を進めます!
そして、遠征はまだ続きます……!
(ImjaLakeは完全に凍結してました。)
(高所順応が不完全なまま登ると、こうも苦しいのだということを実体験。標高5500m過ぎたくらいから、トンデモナイレベルの疲れが起こり、倒れこむように休み休みが始まりました。夜明けまでは、恐ろしいほど寒くて、指がちぎれるかと思いました!)
(やっぱり、ヒマラヤは偉大過ぎました・・・!絶景に感動の嵐)
(その5へ続く)