リンゴがバナナになるとういう現象は、なぜ起こるのか?

私が関わる仕事上、日々企業様では多くの事柄に遭遇します。ある時のこと。ご担当の方が顔を青ざめながら溜息をもらしておりました。

「またです。こうだって、言ったのに、まったく違うものとして現場には伝わっている・・・」

まただ。そう、リンゴが「人」というフィルターを通すと、いつの間にかリンゴは跡形もなく、バナナに変形してしまっているのです。まるで伝言ゲームかのように。トップの方針、企業の新製品、販売方法、その意義・・・日々伝達は常に行われているものの、果たして原型のまま「伝わっている」ものはどれくらいなものなのでしょうか?

なぜ話しの原型がそのままストレートに伝わることが少ないのでしょうか?
その原話をきいた「中間者」が自己フィルターを通じて理解してしまうと、そのフィルター色に染められたままその先に伝えてしまうからです。
例えば、会社が悲願の新製品をリリースしたとして、「我が社はライバルを打ち勝つ待望の新製品を販売することになった」と意気揚々に語ったとしても、それを聞いた中間管理職が「どうせ、前回のように売れっこないよ」という勝手な自己バイアスで物事をとらえると、それは「売れっこない、面倒な新製品」として組織員たちに伝わります。結果、「売れっこない」ときかされた組織員たちは、「また会社が訳のわからないものを私たちに売らせる気か」と、ゲンナリしてしまうのです。伝言ゲームとは、人によって変形してしまう。ああ、恐ろしや。

一方で、リンゴがリンゴ以上なものに磨かれて第三者に伝わることもあります。これも、人のお蔭です。

かくいう私も、「伝えた」つもりがまったく現場には「伝わっていなかった」経験は山ほどあります。そのたびに、なぜそうなってしまうのだろうとショックを受け、悶々としておりました。その逆もあります。恥ずかしいことに、上から言われたことが納得せずに、私の色眼鏡でマイナス評価したものを第三者に伝えてしまったことなど山ほどです。しかし今からおもえば、それを聞いた第三者は何も非はないのに、その分チャンスを逃している。最初からバイアスのかかった話を聴かされるものなので、たまったものではありませんね。

もし何かを「伝える」立場であれば、どうすれば、リンゴはリンゴのままで伝わるようにできるのか?
自分自身も伝え方を工夫して、そして伝え方と同時に「伝わる側」にも働きかけなければいけません。もしその人が納得いっていなかったら納得できるよう働きかけなければいけないし、もしくは「本当に伝わる人」を探したり、育成するのも大事かもしれません。

そして何かを「伝えられる」立場であっても、誰かのフィルターを通した話であれば「疑う」ことも場合によっては必要です。相手のことを鵜呑みにせず、自分自身で「事実」を確かめる。人の噂話などが典型例かと思います。

そう思うと、伝える側も伝わる側も、伝えられる側も、信頼関係で成り立っていることがわかります。

リンゴがリンゴのままで伝言ゲームが進めるように、無用な誤解や解釈が省けるよう、伝え方には気を付けたいですね。

りんご

カテゴリー:ひとりごと