“先入観”に負けない~安藤美姫選手の出産から感じたこと

一連の、安藤美姫選手の出産にかかわる抗議はこんな形の結末を迎えた。

呆れ果ててしまったのは当然の感情であり、安藤選手とお子様の心を察すると涙が出そうになるほどいたたまれない気持ちになる。既に世の中ではたくさんの方が人権侵害だ、と述べてくださっているので今更ここで抗議のブログを書くつもりはない。この一連の騒動を通じて私が感じたのは、「固定観念な考えが浸透していると、それによって生きにくくなる人達も世の中にはいる」ということだ。たとえ、いくら世の中がダイバーシティだ、グローバルだ、という発想が台頭してきていても。

数年前に、こんなデータが発表された。

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出所:社会実情データ図録

各国の婚外子比較によれば、スウェーデン54.7%、フランス52.6%と高い数字が表れているのに比較して、日本は2.1%。もちろん、その社会構造や福祉の充実によって大きな差が生まれていることは否めない。しかし同時に内閣府の「国民生活選好度調査」(2005年)によれば、40歳未満の男性で6割前後、女性で5割前後が「独身の時に子どもができたら結婚した方が良い」という考えを支持しているように、日本においては「子供ができる=結婚する」という法律婚の考えがマジョリティであるようだ。

ともかくも、ここで私が言いたいのは、「ステレオタイプな思考」は正しいか正しくないか、ということではなく、安藤選手が決断した「生き方」も許容され、温かく祝福される社会になってほしいと強く願っているということです。

ちょうど今朝の日経新聞でも、(このブログでも何度も登場してくる)シェリル・サンドバーグ氏が「成功している男性は好かれがちだが、女性は好かれない傾向が強い。こんな先入観が根付いていることをみなが認識すべきだ」と述べている。

本当に、子供ができたら結婚する「べき」なのだろうか?
本当に、子供には法律婚の父親がいる「べき」なのだろうか?

当の私も、16年前にごくごく一部の身内をのぞけばひっそりと出産した。どんな形であれ、生まれてきた我が子はそれはもう愛しくて、今までの自分が360度変わるほど我が子のために生きて行こうと覚悟を決めた。

日本においてはシングルマザーは120万人以上と言われている。最近は働く女性の増加により珍しくない現象になりつつはあるが、しかし未だ「シングルマザーは大変」「父親がいなくて可哀そうね」という“先入観”がこびりついてしまっている社会は否めない。私実際、子供が幼稚園のときも、小学校のときも、中学校のときも、今もクラスにシングルマザーはたった一人であり、周囲からそう声かけられたことは数知れず(そしてこのようなことは、たいてい本人がいないところで囁かれる)。けれども、だからこそその想いに応えるべく、「片親だからこそ、倍の愛情を注いでいこう。倍に働こう」という学びも多くいただき、「誰かのために頑張れる」強さも育まれたのかもしれない。(ちなみにシングルマザーという言葉の響きもどこか悲壮感をイメージしてしまう気がするので、何か明るいキャッチが必要かなぁ?)

生れてくる子供にまったくの罪はない。そして勇気ある生き方を選択した安藤選手には心より敬意を払います。マイノリティがマジョリティとして認知されるためには、こうして誰かが勇気ある決断を示していくことで社会は変容していくので、安藤選手は未来の日本にとってどれだけ光を与えてくれることだろうか。

形は何であれ、こびりついた“先入観”に負けずに、安藤選手とお子様にとっては輝かしい未来を紡いでいってほしいと心から願っています。

木漏れ日 (2)

カテゴリー:世の中のこと